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大分地方裁判所 昭和58年(レ)6号 判決 1986年7月02日

控訴人

田代五郎

右訴訟代理人弁護士

山本草平

被控訴人

平川芳利

右訴訟代理人弁護士

後藤博

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人は、控訴人に対し、別紙物件目録一記載の土地につき、昭和二三年九月三〇日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

被控訴人の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、本訴反訴とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴請求

1  請求原因

(一) 控訴人は、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を昭和二三年九月三〇日から二〇年間占有してきたから時効取得した。

(二) 被控訴人は、本件土地の登記名義人である。

よつて、控訴人は、被控訴人に対し、所有権に基づき本件土地につき昭和二三年九月三〇日時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実中、控訴人が昭和二三年九月三〇日から二〇年間本件土地を占有してきたことは認め、その余は争う。

(二) 同(二)の事実は認める。

3  抗弁

(一) 他主占有

控訴人は昭和二三年九月ころ本件土地の占有を開始したが、本件土地の所有者であつた訴外麻生秀雄(以下「麻生」という。)が本件土地の管理を任せていた訴外秋吉忠夫(以下「秋吉」という。)から、昭和二五年秋ころ本件土地を無償で借受け、改めて占有を開始したから、所有の意思を欠く他主占有であり、時効取得の余地はない。

(二) 時効中断事由

麻生は、控訴人に対し、昭和三七年一〇月ころ本件土地上の建物を収去して本件土地を明渡すよう求める催告をしたから控訴人の取得時効は中断した。

(三) 時効完成後の取得

被控訴人は、控訴人主張の取得時効完成後の昭和五〇年三月三一日麻生から本件土地を買受け、これとさきに被控訴人の父訴外平川司男(以下「平川」という。)が麻生から買受け、被控訴人が贈与を受けていた土地(以下「平川所有地」という。)とを合わせた分筆前の大分県大分郡湯布院大字湯平字葭ノ本五〇三番一二の土地(地目―田、以下「分筆前五〇三番一二の土地」という。)につき、農地法所定の許可を得て、昭和五〇年五月二三日に麻生からの所有権移転登記手続を経たから、被控訴人は、取得時効完成後の第三者であり、控訴人は、登記なくして被控訴人に対抗し得ない。

4  抗弁に対する認否

(一) 抗弁事実はいずれも争う。

(二) 同(三)の事実中、平川が平川所有地を買受けたこと、被控訴人名義で昭和五〇年ころ麻生から本件土地の買受けがなされたこと、分筆前五〇三番一二の土地につき麻生から被控訴人に所有権移転登記手続がなされていることは認め、その余は知らない。

5  再抗弁

麻生の代理人として、従来から麻生に委されて、分筆前の五〇三番一二の土地を管理してきた秋吉は、右土地が農地法により不在地主として国から買上げられることを懸念して、控訴人と被控訴人の実父平川とに対し、右土地を半分ずつ買わないかと持ちかけたので、昭和二三年九月ころ、控訴人は、平川と共同して、控訴人において右土地の南東側半分(本件土地に該当する。)を、平川において残余の北西側半分(分筆後の五〇三番一二に該当する。平川所有地)をそれぞれ代金二万五〇〇〇円で買受け、控訴人は、秋吉に対し、昭和二三年九月ころ、右代金内金一万円を、同年一〇月上旬ころ残金一万五〇〇〇円を支払い、秋吉とは極めて懇意な仲であつたため領収証は貰わないまま、本件土地の引渡しを受け、右買受け直後、平川と協力のうえ、両地間の境界線を中心線とするコンクリート造りの排水溝を築造し、その後、本件土地上に倉庫を建築し、さらに、昭和三五年ころ、右排水溝に接する本件土地上にブロック塀を築造し、そもそも、本件は右売買代金を支払わずに本件土地を使用していれば当然これに対し非難があるような小さな町での出来事であるが、町内の者、誰一人控訴人が本件土地を買受けていることに疑問を抱く者はいず、その他誰からも苦情を言われることなく、本件土地を三〇年にわたり占有使用してきた。

本件土地は、控訴人が買受けた当時から現況は宅地であつたが、地目が農地であつたため、当時農家でなかつた控訴人への所有権移転登記が困難であつたところから、控訴人は後日所有権移転登記を受けることとし、登記名義整備に無頓着の田舎の実情も加わつて、控訴人も平川も所有権移転登記を受けないまま推移し、そうするうち控訴人は、本件土地上に住居を建築しようと思い立ち、昭和五〇年ころに至り、本件土地の地目変更並びに所有権移転登記を受けようと、平川とともに(平川は分筆後の五〇三番一二の部分につき所有権移転登記を受けるために)麻生と交渉したところ、麻生が、高額の金員を支払わなければ所有権移転登記には応じられないとの態度を示したため、控訴人は途方に暮れていた。

ところが、平川は、控訴人と前記各行動を共にしたほか、被控訴人及び平川(なお、平川は、昭和五〇年三月三一日付本件土地の売買に関し、形式的には被控訴人の代理人であるが、実質的には当事者本人である。)は、本件土地の隣に居住し、両名とも以上の各事情を知悉し、また、控訴人が本件土地を時効取得したことも含め、本件土地が実質上控訴人の所有であることを知りながら、さらには、平川自身は、麻生に対し、法律上当然、分筆及び所有権移転登記手続を主張でき得る立場でもありながら、ことさら本件土地を含む分筆前の五〇三番一二の土地がいまだ麻生の所有名義となつており、麻生が控訴人にその所有権移転登記を容易にしてくれず、それが未了のままであることを奇貨として、右土地を被告の所有名義にしたときには、控訴人は被控訴人に対抗することができず、本件土地を明渡さざるを得なくなり控訴人が困窮することを承知のうえ、自己使用ではなく転売利益を挙げることを考え、麻生と秘かに共謀し、明らかに控訴人を害する目的で、麻生から本件土地を買受け、農地法所定の許可を得て、分筆前の五〇三番一二の土地につき所有名義を麻生から被告へ移転する登記手続を経たものである。

右事実からすれば、被控訴人は背信的悪意者に該当し、控訴人の登記の欠缺を主張して本件土地に対する控訴人の所有権を否認し、自己の所有権を主張することはできない。

6  再抗弁に対する認否

再抗弁事実中、麻生の代理人として、従来から麻生に委されて、分筆前の五〇三番一二の土地を管理してきた秋吉から、控訴人と被控訴人の実父平川とは、共同して、昭和二三年九月ころ、控訴人において右土地の南東側半分(本件土地に該当する。)を、平川において残余の北西側半分(分筆後の五〇三番一二に該当する。平川所有地)をそれぞれ代金二万五〇〇〇円で買受けたこと、右買受け直後、平川と協力のうえ、両地間の境界線を中心線とするコンクリート造りの排水溝を築造し、その後、本件土地上に倉庫を建築し、さらにその後、右排水溝に接する本件土地上にブロック塀を築造したこと、控訴人が本件土地を三〇年にわたり占有使用してきたこと、被控訴人が分筆前五〇三番一二の土地につき所有権移転登記手続を経たことは、それぞれ認めるが、控訴人が秋吉に対し昭和二三年九月ころ売買代金内金一万円を、同年一〇月上旬ころ残金一万五〇〇〇円を支払つたこと、控訴人が本件土地の地目変更並びに所有権移転登記を受けようと、平川とともに(平川は分筆後の五〇三番一二の部分につき所有権移転登記を受けるために)麻生と交渉したことは否認し、その余は争う。

なお、控訴人と平川との分筆前の五〇三番一二の土地の共同買受けの際の売買契約には、両者の各代金とも昭和二四年一月二八日(旧暦の年の夜)までに支払うものとし、もし右期日までにその支払をしなかつたときは、右の売買契約は当然解除となる旨の約定が付加されていたところ、平川は右の期日までに代金を完済したが、控訴人はその支払いをしなかつたので、右の売買契約は解除となつている。また、控訴人が本件土地上に建築した倉庫は、当初は仮設の馬小屋であつたものを後日倉庫としたものであり、ブロック塀を築造したのは、麻生から控訴人に対する本件土地の明渡しを求める催告状(内容証明郵便)が届いた後である昭和三七年以降であつた。そもそも、控訴人は、昭和二三年九月ころ、本件土地の所有者麻生及び管理人秋吉に無断で本件土地の使用を開始したが、昭和二五年秋ころ、秋吉に雇われて伐木のドタ曳きを始める際、これに使用する馬の馬小屋及びその運動用の土地が必要なため、秋吉から本件土地を借受けたものである。

二  反訴請求

1  請求原因

(一) 被控訴人は、昭和五〇年三月三一日麻生から同人所有の本件土地を買受け、農地法所定の許可を得た。

(二) 控訴人は、本件土地に別紙図面表示の斜面部分に別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有して、本件土地を占有している。

(三) 本件土地は、湯の平温泉街に近く、駐車場にすれば一カ月三万円以上の収益をあげうるもので、被控訴人は控訴人が本件土地を占有することにより、右金額と同等の損害を被つている。

よつて、被控訴人は控訴人に対し、所有権に基づき本件建物を収去して本件土地の明渡し及び本件反訴状送達の翌日である昭和五〇年九月二五日から明渡ずみまで一カ月三万円の割合による地代相当損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実中、被控訴人名義で昭和五〇年ころ麻生から同人所有の本件土地の買受けがなされたことは認めるが、その余は知らない。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実は争う。

3  抗弁

(一) 本訴の請求原因(一)と同一である。

(二) 本訴の再抗弁と同一である。

4  抗弁に対する認否

(一) 抗弁(一)については、本訴の請求原因(一)に対する認否と同一である。

(二) 同(二)については、本訴の再抗弁に対する認否と同一である。

5  再抗弁

(一) 他主占有

本訴の抗弁(一)と同一である。

(二) 時効中断事由

本訴の抗弁(二)と同一である。

6  再抗弁に対する認否

再抗弁事実はいずれも争う。

第三  証拠<省略>

理由

一本訴請求について

1  時効取得の有無

控訴人が本件土地を昭和二三年九月三〇日から二〇年間占有してきたこと、被控訴人が本件土地の登記名義を有することは当事者間に争いがない。

そこで、被控訴人の主張する事実(抗弁(一)、(二))について判断する。

(一)  被控訴人は、控訴人が秋吉から昭和二五年秋ころ本件土地を無償で借受けて、占有してきたから、他主占有である旨主張(抗弁(一))するので、その点について検討する。

<証拠>中には、秋吉が控訴人に本件土地を無償で貸していた旨の記載部分及び証言部分があるが、乙第三号証(「事実証明」と題する書面)の作成名義人である原審証人麻生秀雄の証言中にはその旨の証言部分がなく、そもそも乙第三号証の右記載内容も、秋吉が本件土地を使用させていたらしいという推測に過ぎないものであり、また、原審証人秋吉昭一郎の証言によれば、訴外秋吉昭一郎は、乙第四号証(「事実証明」と題する書面)を作成してはいるものの、昭和二二年四月昭和二七年三月まで大学に在学していて本件土地付近にある自宅を離れていたため、控訴人が本件土地を使用している理由については、秋吉が昭和二七年三月に死亡したこともあつて、詳しく知つているわけではなく、単に借りているのではないかと思つていたに過ぎないことが認められるから、右各記載部分及び証言部分の内容を直ちに信用することはできず、その他控訴人が本件土地を借りていたと認める証拠はない。

したがつて、控訴人の占有が他主占有である旨の被控訴人の主張は失当である。

(二)  被控訴人は、麻生が控訴人に昭和三七年一〇月ころ本件土地を明渡すように催告したから、取得時効は中断した旨主張(抗弁(二))するので、この点について検討する。

時効中断事由となる請求は、裁判上の請求であることを要し、裁判外の請求は、単なる催告にとどまり、六ヵ月内に裁判上の請求等の民法一五三条所定の手続をしないと、その効力を生じないが、<証拠>によれば、麻生は、控訴人に対して、不法に占有しているとして、分筆前五〇三番一二の土地から控訴人所有の家屋を同年一一月八日までに撤去するように請求する「催告状」と題する昭和三七年一〇月八日付書面(甲第一号証)を郵送し、控訴人は右書面に対して、右土地は麻生の代理人秋吉から買受けたもので、控訴人の所有である旨の「回答書」と題する同年一一月七日付け書面(甲第二号証)を麻生に対して郵送したことが認められる(なお、右各書面に記載された土地の表示は、大分県大分郡湯布院町大字湯の平字葭の本五三〇番の一二となつているが、同大字葭の本五〇三番一二の誤記と認められる。)ものの、その後麻生が、六か月以内に民法一五三条所定の手続をしたことあるいは取得時効期間(昭和四三年九月二九日を経過するまで)の満了前に控訴人に対して本件土地の明渡を求める訴えを提起したことの主張、証拠はなく、したがつて、被控訴人の時効中断の主張は失当である。

以上説示したとおり、控訴人は本件土地を時効取得したものである。

2  取得時効の対抗の成否

(一)  被控訴人は、控訴人の取得時効期間の満了後に本件土地を取得したから、控訴人は時効取得をもつて被控訴人に登記なしに対抗し得ない旨主張(抗弁(三))するので、この点について検討する。

<証拠>によれば、平川は、控訴人とともに麻生の代理人秋吉から分筆前五〇三番一二の土地を昭和二三年九月ころ買受け、控訴人が本件土地を、平川が平川所有地をそれぞれ取得したものとして使用してきたが、麻生が登記手続をしてくれないため、平川は昭和四九年一〇月ころ麻生を訪れ交渉したところ、麻生から本件土地を三八五万円で買わないかといわれて、平川の長男である被控訴人がこれに応じることにし、同年一二月二〇日ころ以降昭和五〇年一月末ころにかけて代金を支払つて本件土地を買受け(なお、被控訴人名義で昭和五〇年ころ麻生から本件土地の買受けがなされた限りでは当事者間に争いがない。)同年三月一日本件土地を含む分筆前五〇三番一二の土地につき農地法五条所定の許可申請手続を行い、同月末ころ右許可を得て同年五月二三日売買を原因とする所有権移転登記手続をしたことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、被控訴人は、控訴人の取得時効期間の満了後の昭和四九年暮ころから昭和五〇年一月末ころにかけて本件土地を買受け、昭和五〇年三月末に農地法所定の許可も得たから、控訴人は登記なしに本件土地の時効取得を被控訴人に対抗し得ないことになる。

したがつて、被控訴人の右主張は理由がある。

(二)  控訴人は、被控訴人が背信的悪意者であるから、登記の欠缺を主張しうる正当な第三者に該当しない旨主張(再抗弁)するので、この点について検討する。

前項認定事実に<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。

(1) 麻生の父訴外麻生邦太郎が分筆前五〇三番一二の土地を所有していたが、同人が昭和九年二月二八日に死亡し、その後は、麻生が九歳の子供であり、かつ、大分県玖珠郡九重町に居住していたため、麻生の母の従兄弟の子となる秋吉(麻生は秋吉の妹と昭和二五年五月一五日結婚した。)がこの土地付近に居住していたことから、麻生から委されてこれを管理してきた(この点は当事者間に争いがない。)。

被控訴人の実父平川は、満州から引き揚げてきて分筆前五〇三番一二の土地付近に家を借りて居住していたが、当時すでに宅地化していた右土地が住居建築のため欲しくなり、昭和二三年九月ころ秋吉に対し、これを売つて欲しいと交渉したところ、秋吉は、当初麻生の所有で農地だから売れないといつていたが、そのうちに右土地が不在地主の農地であるため、農地整理の際対象からはずされることはなく、わずかな代償で強制買収されてしまうことを恐れ、平川において単独で五万円を調達するまでの資力はなかつたので、そうであれば控訴人も欲しがつているから、平川と控訴人の二人に右土地を一括して全部で五万円で売つてもよいといつてきた。

そこで、平川は、控訴人に分筆前五〇三番一二の土地を一緒に買うことを持ちかけ、控訴人もこれに応じて、控訴人は右土地の南側の本件土地を、平川は北側の平川所有地をそれぞれ取得することにして、代金を半々にして共同で買うことにした(なお、右売買に代金支払時期、その徒過による当然解約の約定があつたとは認められない。)。

控訴人と平川は、秋吉から一括して共同で買受けた後(ちなみに、口頭契約で売買契約書は作成されなかつた。)平川が依頼してきた技術者をして測量させてその境界及び土地範囲を決め、双方協力して両地間の境界線を中心線とするコンクリート造りの排水溝を建造した(この点は当事者間に争いがない。)。

平川は、昭和二四年一月二八日に右土地の代金五万円の半額二万五〇〇〇円を秋吉に支払い、同人から領り證(乙第二号証、以下これを「領収証」という。)の交付を受け、同年九月ころ右土地の北側に家屋を建ててそこに居住し始めた。

一方、控訴人は、当時、果樹園経営を主たる生業とし、梨、桃、野菜等を栽培し、これを卸売りあるいは店舗で小売りしていたが、顧客も多く順調に利益を上げ、万円単位で金員を融通し、近隣の噂となるまでに資力を蓄えていたところ、秋吉は、昭和二三年八月中旬か九月ころ、電話か、あるいは、大分へ出掛ける途中立ち寄つてか「金が必要であるから一万円くれ。」と控訴人へ申し出たので、控訴人は、一〇円札を束ねて新聞紙に包んで右売買代金内金一万円を、秋吉方(右丸旅館)に持参し、秋吉が不在であつたのでその妻に秋吉に渡してくれるように依頼して手交し、また、同年一〇月か一一月中旬ころ、秋吉からの連絡で前同様一〇円札で右売買代金残金一万五〇〇〇円を秋吉方に持参し、ちようど居合わせた訴外麻生来、同古長敏雄(あるいは利夫)の目前で秋吉本人に直接手交して、それぞれ右土地の代金を支払つたが、秋吉と控訴人とは昭和八年ころ控訴人が大分県湯布院町湯平に居住するようになつたときからの知り合いで、当時、控訴人は、秋吉から言われて毎晩のように秋吉が経営する右丸旅館を訪れ、秋吉とは極めて懇意な仲であつた一面、秋吉の人格を慕つて敬意さえ抱いていたため、領収証を受交付することが他人行儀となるような間柄にあり、右土地代金の領収証は貰わないまま、本件土地の引渡しを受け、控訴人は、昭三年の冬ころ本件土地に馬小屋を建て、昭和三〇年ころこれを増改築して酒類・日用品・青果物等販売業の商品等格納のための倉庫とし、その後右倉庫以外の土地に商売関係の空びん・野菜かご・自動車等を置いたり、また、鶏・あひるなどを飼つたり、前示排水溝に接する土地部分上にブロック塀を築造し(この点は当事者間に争いがない。)たりなど、本件土地を三〇年にわたり占有使用してきたしそもそも本件は、土地代金を支払わずに本件土地を使用していれば当然これに対し非難があるような小さな町での出来事であるが、秋吉を始め、町内の近所近辺の者で、控訴人の本件土地の買受け、占有使用の正当なことに疑問を抱くような者は誰一人いなかつた。

なお、麻生は、秋吉から、分筆前五〇三番一二の土地を控訴人と平川とに売渡した旨の報告を受け、その後も毎年一回は秋吉方(右丸旅館)を訪れ右土地を見る機会を有し、麻生の妻も、昭和二七年ころ右土地の控訴人買受部分と平川買受部分の境界を見分に来たりしていたが、麻生は、昭和三七年一〇月八日、(前示のとおり)控訴人に対して、不法に占有しているとして、右土地から控訴人所有の倉庫などの建物を同年一一月八日までに撤去するように請求する書面(前示催告状)を郵送したが、これに驚いた控訴人が、直ちに秋吉の子訴外秋吉昭一郎に右書面を見せ、同訴外人の「返事は手紙ではなく内容証明郵便でなければ駄目だ。」という助言のもとに、右土地が麻生の代理人秋吉から買受けたもので、控訴人の所有である旨の前示回答書を司法書士に作成して貰つて、これを郵送したところ、以後、控訴人に対し代金不払の指摘や建物撤去、土地明渡の要求などは一切しなかつた。

(2) 秋吉は、控訴人が前示残代金一万五〇〇〇円を支払つた際、控訴人に対し「登記は遅れるが自分にまかせてくれ。」といい、代金支払後一年ないし一年半経過後平川から「登記をしなければ落ち着かないから、秋吉と懇意にしている控訴人から請求してくれないか。」と要請された控訴人が、秋吉に請求すると「今、自分には麻生に支払う金がない。それで何とか早くするような手だてをとるから。平川にも事情を説明してくれないか。」というので(当時、秋吉は、自営の製材事業不振のため金銭に困つて苦しんでいたようであり、同情もしていたので)、控訴人は、秋吉を信頼することとし、平川に対しても「待とう。」と話して、それ以上の請求は控えていたところ、昭和二七年三月秋吉は死亡してしまつた。

その後、控訴人は、秋吉の相続人であるその妻や息子に登記手続を何回も依頼してきたが同人らは善処を約束するのみで実現せず、かえつて、前示のとおり麻生から昭和三七年一〇月八日付け書面(前示催告状)に対して、控訴人が前示回答書を郵送する経緯があり、そこでさらに秋吉の妻や息子に登記手続を麻生に頼んで欲しい旨何回も繰り返し依頼した。

平川は、昭和四九年一〇月ころ麻生を訪ねて、登記手続をするように頼むことにし、控訴人を誘つたが、控訴人は、その一、二月前に訴外秋吉昭一郎が「近いうちに麻生方を訪れて解決するので待つてくれ。」といつていたし、売買代金の領収書を持つていないうえ、麻生が一時は平川の領収証の真正さえ疑つたという話を聞いていたこともあり、「秋吉の妻や息子が解決してくれるので楽しみに待つている。」といつて同行しなかつた。

ところが、訴外秋吉昭一郎は、控訴人の土地代金が父秋吉から麻生に支払われた形跡がなく、事態の推移によつては、父の名誉にかかわることを懸念し、実際には積極的に動かなかつた。

そこで、平川は一人で麻生のもとを訪ねて、分筆前五〇三番一二の土地のうち平川の使用している部分の登記手続を頼んだが、麻生は分筆前五〇三番一二の土地が農地で地目変更や分筆手続などの煩瑣な手続を要することを口実に、平川の取得した部分だけを登記することを拒否し、地続きの本件土地を買えば登記手続をしてやるから、買つたらどうかと勧めた。

平川は、控訴人が本件土地を買つて使用しているから、平川が買えば控訴人が困ることになるといつて、本件土地の購入を渋つたが、麻生は、「控訴人に一旦は売つたが代金を払わないので解約したし、貸した覚えもないし、控訴人に売るつもりはない。自分の土地を自分が売るのにいろいろいわれることはない。本件土地を買えば登記手続をする。控訴人には絶対に転売しないでくれ。」といつた。

平川は、控訴人を害することを十分知りながら、訴外原田静喜から口止めされたことで控訴人には秘したまま、本件土地を買うことにし、その交渉を麻生の代理人で不動産仲介業をも営む訴外原田静喜との間で始め、訴外新開美造に懇請して、同人から三〇〇万円、その他親戚の者からも金員を借りて、長男の被控訴人名義で本件土地を三八五万円で買うことにし、被控訴人は昭和四九年一二月二〇日ころから昭和五〇年一月末ころにかけて代金を二、三回に分けて支払い買受けた。平川は、右買受けに際し、控訴人を害することを十分知りながら、控訴人が麻生に直接交渉しなかつたためであるから、その結果もやむを得ないものと考え、訴外原田静喜から口止めされたことから、控訴人には隠密裡に事を運んだ。

平川は、平川所有地を被控訴人に贈与した形式をとり、分筆前五〇三番一二の土地全部について農地法所定の許可を得て、被控訴人名義に所有権移転登記手続を昭和五〇年五月二三日に行つた。

(3) 控訴人は被控訴人名義での本件土地の買受けがなされたことを聞き知り、本件土地をめぐるこれまでの経緯からして、てつきり、平川が控訴人のためにも分筆前五〇三番一二の土地全部を買受けてくれたものと早合点し、代金額や登記経由の有無も知らないまま、平川方に行き「必要とした費用などは分担するので、控訴人に所有権移転登記をして欲しい。」と申し入れたところ、平川は「税金の関係で五年後でなければ登記できない。ここまで来るのには金も必要としたし、そう騒がないでくれ。代金額はわからない。」などと曖昧な返事をしたので、控訴人も事の真相を把握できないまま「五年後でも結構だ。事件が落着すればこんなに嬉しいことはない。」などといつているうちに、控訴人は、訴外清水喜徳郎から、右買受代金額が四〇〇万円であつたことを聞き、平川に同金額での買受を申し出たが、平川や被控訴人から拒否された。そこで、控訴人は、昭和五〇年四月ころ、麻生方を訪ねたところ、麻生の妻から仲介人である訴外原田静喜のもとに行くよう指示され、同年五月中旬ころ、右訴外人から、「本件土地は麻生が被控訴人に売つたので明渡してくれ、異議があれば自分のところに来てくれ。」といつてきたので、同月二〇日過ぎ右訴外人を訪ね、前示昭和三七年一一月七日付回答書(甲第二号証)を持参して、これまでの諸事情を説明したところ「控訴人がすでに買つていたことは知らなかつた。すでに平川に売却ずみなので、どうにもならない。麻生のところに行け。」などといつた。そして、控訴人は、本件土地の登記終了後の昭和五〇年六月ころから、訴外新開美造を仲介者として平川や被控訴人に本件土地を四〇〇万円で売つて欲しい旨三、四回にわたり繰り返し頼んだが、平川は「これまで登記ができなかつた経緯が経緯だから、控訴人に譲ることはできない。」と称し、これらを拒否し、その他一、二名の者の仲介によつても同様の結果であつた。

以上のとおりであつて、<証拠>中、それぞれ右各認定に反する部分は、前記各証拠に照らして信用できず、ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、被控訴人は父平川の代わりに本件土地の買主名義人となりこれを買受けたもので、いわゆる背信性の有無を判断するうえでは平川と同じ法的地位に有るというべきところ、平川は、自らの住居建築に必須の敷地取得のため、かつ、単独買受には資力不足のため控訴人を誘つて分第前五〇三番一二の土地を二人で共同で買受け、以後引渡、占有、使用の諸準備も共同買受人、隣接地利用者として双方一致協力して行い、控訴人の本件土地取得及び昭和二三年九月ころ以降二〇余年にわたる控訴人の自営業・生活のための利用状況など平穏公然たる自主占有の客観的状態を、毎日目前で否応なく目撃しつつ、右共同買受けの売主麻生の代理人秋吉の任務懈怠により、控訴人と平川ともに右売主から所有権移転登記手続を受けられず、両者同じ様に長年の間その対象に苦慮し努力してきたこと、したがつて、平川は控訴人が自己所有地として本件土地を昭和二三年九月ころから占有してきて時効取得したであろうことも十分承知していた等、これらの事情があるにもかかわらず、平川又は被控訴人は、本件土地を同人らが買受ければ控訴人が極めて困窮する立場に立たされることを熟知し、また、控訴人の本件土地取得についての最も良き理解者であり信頼される地位にありながら、控訴人に麻生から本件土地を買うように勧められていることを連絡することもなく、麻生が、自己の代理人の任務懈怠は差し措いて、控訴人の本件土地買主としての地位を覆し、控訴人を積極的に害する目的で二重売買することを知悉しつつ、突如として、しかも隠密裡に、本件土地を買受けたのであり、そのうえ、控訴人が、被控訴人の買受け後、買受価格よりも高額な代金価格を呈示して転売の申し入れをしているにもかかわらず、頑として拒否し続けていることを考慮すると、被控訴人は、控訴人が登記名義を有しないことから本件土地を買受ければ控訴人に対抗し得ないことを知りながら、控訴人を害する目的を有しつつ取得したものと推認し得るのである。

もつとも、前記認定のとおり、平川が麻生に登記手続をするように交渉した際、麻生は、本件土地を控訴人に一旦は売つたが代金を支払わないので解約したし、また控訴人に貸してもいないから、本件土地を買つたらどうかと勧め、分筆前五〇三番一二の土地を分筆して平川の使用している部分だけの所有権移転登記手続をするのを拒否したので、登記手続の遅延することを恐れ、それも動機になつて本件土地を買受けたとも解する余地がないではない。

しかし、前記認定のとおり、平川は、平川所有地についての売買代金領収証を所持していたし、当時、麻生がその成立の真正を疑つていた様子も窮われないのであるから、右登記手続の任意履行の拒否にあつても、訴求すればさしたる時日、費用を要することもなく、右登記手続を実現することができたはずであるし、また、被控訴人は、本件土地を買うにつき、三八五万円という高額の代金を支払つていて、そのために訴外新開美造から三〇〇万円も借りているのであるから、高額な代金を払う前に、控訴人が本件土地を今後明渡す意思があるか否かを確認したり、または、控訴人が被控訴人から本件土地を買う意思があるか否かを確かめたりするため、控訴人に相談してしかるべきであると考えられるが、なんら買受けることを知らせず売買代金の決定において当然考慮すべき右の点を確認しないまま高額な代金を支払つて買受け、買受けた後も、控訴人の右代金額を上回る代金呈示のある転売懇請に対して、断固転売を拒否し続けていることに照らしてみると、被控訴人(平川)が、当初麻生から買受けを勧められた時点では平川所有地の所有権移転登記手続が遅延することを恐れて、麻生の勧めに応じようとしたと考え得るとしても、その後買受けを決定し代金支払いに応じる当時には自らの買受けにより本件土地に対する控訴人の買主たる地位を決定的に覆し控訴人を害する目的をも重要な動機として買受けたものと解され、右登記手続の遅延を恐れた事実をもつてしても、被控訴人の背信性を否定し去ることは困難といわなければならない。

ちなみに、また、前記認定のとおり、控訴人は昭和三七年一〇月八日付け書面で麻生から本件土地の売買を否定したうえ、本件土地上の建物を撤去せよと請求されているにもかかわらず、右書面に対して一通の前示回答書を郵送しただけでなんら麻生に対して働きかけていないが、しかし、控訴人としては、麻生から書面による建物収去の請求があつたこともあり、直接麻生と交渉するよりも同人の親類であり共同買受の代理人であつた秋吉の地位の相続人である妻や息子を信じ同人らを通じて折衝するほうが話もうまくまとまると考え、秋吉の妻や息子の内心の意図を知る間もなく、同人らに登記手続を麻生に頼むよう依頼してきたと解されるのであり、また、控訴人が右回答書を郵送した後麻生から何もいつてこないため、控訴人の主張を認めてくれたと考えていたとも解され、右麻生に働きかけなかつた事実をして、控訴人が所有権取得の登記を経由しなかつたことにつき、非難されるべき事情と認めることはできない。

以上のとおり、被控訴人または平川と控訴人との関係、本件土地の買受け経過、買受け後の事情等を、いわゆる自由競争原理の本来機能すべき分野との関連で勘案すると、被控訴人の本件土地の買受けは、道義にもとるのみならず、法律上の信義誠実の原則に著しく反し許されず、控訴人に対して本件土地の取得を対抗し得ない背信的悪意者に該当するものというべきである。

したがつて、控訴人の再抗弁は理由がある。

3  以上説示したとおり、控訴人の請求原因は理由があり、被控訴人の抗弁(一)(二)はいずれも失当であり、抗弁(三)は理由があるが、これに対する再抗弁に理由があるから、控訴人の本訴請求は認容すべきである。

二反訴請求について

1  本件土地を麻生がもと所有していたこと、控訴人が本件土地に被控訴人主張の建物を所有して占有していることは当事者間に争いがない。

そして、前記一2(一)で説示したとおり、被控訴人は麻生から昭和四九年一二月暮れころから昭和五〇年一月末ころにかけて本件土地を買受け、昭和五〇年三月末ころ農地法所定の許可を得ている。

したがつて、請求原因(一)、(二)の事実は認められる。

2  控訴人が本件土地を昭和二三年九月三〇日から二〇年間占有してきたこと(抗弁(一))は当事者間に争いがなく、控訴人の占有が他主占有である旨の主張(再抗弁(一))及び時効中断事由がある旨の主張(再抗弁(二))が、いずれも失当であることは前記一1で説示したとおりであり、控訴人は本件土地を時効取得したというべきである。

そして、被控訴人は控訴人の時効期間満了後に本件土地を買受けているが、前記一2(二)で説示したとおり、被控訴人は背信的悪意者であるから、控訴人の登記の欠缺を主張して自己の所有権を控訴人に対して対抗し得ないことになる。

したがつて、控訴人の抗弁は理由がある。

3  以上のとおり、被控訴人は本件土地の所有権を控訴人に対抗し得ないから、その余の点を判断するまでもなく、地代相当の損害賠償請求を含めて被控訴人の反訴請求は、失当で棄却すべきことになる。

三よつて、控訴人の本訴請求を認容し、被控訴人の反訴請求を棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は失当で本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴部分を取り消すこととし、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官岡部信也 裁判官西田育代司)

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